お金というのは、物品またはサービスへ投じることができる一つの道具です。この道具を使って、最大に大きな交換をするのはおそらく、家の購入ではないでしょうか。
こんな研究が存在します。関西学院大学の中里直樹らのグループが、ドイツで1991年から2007年にかけて、自分の住んでいた家に不満があったために新しい家に引っ越した数千人の人々を追跡調査しました。彼らは新しい住まいに移った当初、古い家に住んでいたときよりも、新しい家の方がはるかに満足度が高いと答えていました。しかし、だんだんとその満足度は薄れていきました。もちろん家に対する満足度自体は維持したものの、生活に対する満足度、つまり全体的な幸福感は向上しなかったのです。
つまり、家を買うことは非常に大きな買い物にもかかわらず、お金の使い方としての幸福度は目を見張るほどの恩恵をもたらしません。
買い物としてお金を使うときに、どういったものが幸福度をあげるのでしょうか。それは、経験に対してお金を使うことだと言われています。
コロラド大学ボルダー校の心理学者リーフ・ヴァン・ボーヴェンとコーネル大学の心理学者トーマス・ギロヴィッチの調査によると、アメリカ人の約57%が、経験を買う方が幸せになれると答えています。一方、逆だとこたえたのは34%になりました。この傾向は、女性や若年層、都市圏に住んでいる人たちの間ではより顕著でした。
こうした経験のもたらす恩恵は、形のあるものがもたらす恩恵よりも抽象的な場合が多いといえます。そのため、時間が経って心の距離を置いてからのほうが、経験的な買い物の価値を評価しやすくなります。このことから、物を買うのであれば、明日何を買うかではななく、1年後に何を買ったら良いかを考える。そうした経験的な買い物の方が幸福度が増すのです。
また、経験は人の本質を映し出し、高級ブランドの財布や希少価値のある腕時計よりも、より多くの幸福をもたらすと言われています。価値のある経験や達成感、幸福感などの思い出は、自分は価値のある人間だという自信を大いに与えてくれます。
家と同じく大きな買い物となる自動車。これもまた、悩ましい問題になります。
たとえば、アメリカの国産車フォードと、輸入車であるBMW。どちらが幸福に感じるかミシガン大学の学生に実験しました。その結果は、予想通りBMWが圧倒的勝利を収めました。
では、高級車のハンドルを握る方が、大きな幸福を経験できるかというとまたそれも異なります。自動車を所有する人に、最後に運転したときのドライブをどれだけ楽しんだかをランクづけしました。彼らの車の値段は、400ドルから4万ドルと大きな幅があったものの、そのオーナーのドライブの楽しさには関係性がなかったのです(ただ、自動車のスペックや能力などについて語るときには、高級車の方が大きく幸福度は上がったということです)。
また、高級品を手に入れた時の幸せな感動というのは、変化がないと考えることもまた間違っています。別の研究では、学生たちに万華鏡を与え翌日か1週間後どちらが楽しく感じるかを予測してもらいました。どちらも同じぐらい楽しんでいるだろうと予想したものの、その結果は1週間後の方が楽しさが減少していたのです。
人間の幸福を感じるセンサーは、温度計のように常に一定には触れません。極寒の冬の中から、風呂桶にたまったぬるま湯に入ったとき最初は強烈な熱さを得ることができます。しかし、そのまま入っていても、その感覚はだんだんと薄れていってしまうのです。
このことから、幸福になりたいからといって高すぎるご褒美にお金を払うことはなかなかに愚かしい行いとも言い換えられるのではないでしょうか。
時間というのはお金と密接に関係しています。五円安いガソリンスタンドに時間をかけていったり、無料サンプルをもらうために長時間列に並んでみたり。お金を節約することを優先するために、自由な時間を犠牲にしがちです。
にもかかわらず多くの人が、自分のやりたいことをするために、自由な時間がもっと欲しいと願っています。言うまでもなく、時間の豊かさが増すことは、忙しいのが好きな人々でさえ、より大きな幸福につながります。逆に時間に追われていると感じるほど、瞬間を生きるのが難しくなってきます。
では、高い報酬を得て経済的自由を得て、有意義に使える時間を増やせばいいかというとそれもまた異なります。
トロント大学で行われた研究では、学生がコンサルタントの役を演じ、架空の会社のさまざまな部署の仕事をして、6分ごとに時間給を請求しました。学生の半分は1分あたり15セント。片方の学生は、1分あたり1ドル50セントを請求しました。結果、このとき低い時給で請求した学生よりも高い時給で請求した学生の方が、同じ仕事量を時間内に完了したにもかかわらず、時間に追われていると答えたのです。
時間がないという悩みは、実はお金との関連性があるともいえるのです。時間に価値があると感じられるほど、金額換算できそうでできない時間の価値が増していってしまうのです。
豊かさを求めることで自由な時間が奪われ不幸になるというジレンマに陥りやすいのです。考え方の重点として、お金を軸にするのではなく幸せな時間を過ごすために何ができるのかということにシフトしていくことが、本質的な生き方へと繋がっていきます。
将来手に入る予定のもの。それと、今すぐ入るもの。この2つを比べたとき、前者の将来に手に入るものの方がより大きな喜びを得られるとされています。
これは、未来が輝かしい、まだ起こっていないことに起因すると言われています。アメリカ大統領の支持率や、これからデートする相手、旅行の計画をしている瞬間が、期待や未来の希望に満ち溢れていることも同じことが言えるのです。
ハーシー(チョコブランド)のキスチョコをしばらく待って食べた学生は、すぐに食べた学生よりも、より美味しく味わいました。こういった先送りの消費によって楽しみ方が変わるようにできています。
言うなればおあずけすることによって楽しみが増加するのです。にもかかわらず現在の威力というのもまた大きいのです。前述した内容がわかっているにもかかわらず、今すぐという欲求もまた存在します。
賢明なお金の使い方をしたいのであれば、先に払って後に消費することです。そうすることで、未来にたいして考えるように心が変化しています。将来に対して肯定的な考え方をするようになり、自身の幸福のために賢い采配をふえるように変化するのです。
時間を他人に使うと同じく、寄付や投資というのも人の営みに関わります。そのときの心の変化というのは、金額がたとえ少なくても大きく影響が与えられると考えられています。
他人への投資と自分のために使う金額の適切な比率はどのぐらいでしょうか。その金額は、実のところいくらでもいいのです。
社会とのつながりを提供することは、あなた自身の心の幸福につながっているのです。なぜ商品マーケティングに売上の一部をチャリティーに寄付するというようなものがあるのでしょうか?
これは世界のどこか、だれかがあなたの消費によって恩恵を受けるということが約束されているからなのです。実は自分のために100%お金をつかうよりも、その一部を誰かに使う方がより幸福を得ることができるのです。
イギリスのベッドフォードシャイヤー大学の社会心理学者ウィリアム・M・ブラウンらが行った高齢者を対象にした研究によると、お金または別の形の援助を、親類と親類以外の両方に提供した人は、全体的な健康状態が良好だと答えています(しかも、収入や運動などの変数を考慮にいれてもです)。
また、別の実験では1ドルの入った封筒を、寄付とお金をもらう、お金を返却するの3つの選択をしてもらうという実験をしました。結果的に言うと、寄付とお金をもらう両方とも、裕福な気持ちになり、かつ寄付した人は人にあげるほどにたくさんのお金を自分が持っている気持ちへと変化したのです。
他に対して、寄付、あるいは投資するということだけで、肉体的にも精神的にも健康的になっていくのです。そしてそれは幸福感だけでなく、実際に富を産むこともあるということなのです。
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