サラリーマンの実質税負担額
サラリーマンがいくら税金や社会保険料を納めているかを計算すると、その負担の過酷さが見えてきます。
政府は税金と社会保険料を別ものとして扱っていますが、管轄が厚生労働省というだけで、実態は税金と何ら変わりません。
それでは所得税・住民税・社会保険料に、会社負担分の社会保険料を加えたサラリーマンの実質税負担はどのくらいなのでしょうか。
年収600万円(月収約35万円、ボーナス5カ月)、介護保険料の負担が必要な40歳以上で、専業主婦に子供2人の家庭で試算すると、600万円の年収に対し実質税負担率は約2割となります(※試算数値は書籍出版時)。
しかし、社会保険料の会社負担分は人件費の一部なので、この負担分をサラリーマン個人のものとして計算しなおすと、実質税負担は約3割にまで跳ね上がります。社会保険料の半額を会社負担にしたのはこうした“不都合な真実”を隠すためのトリックなのです。
社会保険制度の抜本的な改革を進めようにも、既得権益を死守しようとする厚労省の官僚とそれに群がる政治家たちの抵抗により、ことごとくつぶされてきました。その間実態を知らないサラリーマンから収奪しているのが、日本の社会福祉の現実です。
歪んだ税制
こうした歪んだ日本の社会制度で生きる私たちにとって、国家の負の側(ダークサイド)を歩まず、合理的に人生を設計する方法は2つあります。
(1)合法的な範囲で、できるだけ税金を払わない
(2)合法的な範囲で、できるだけ多く再分配を受ける
もちろん、こうした考え方に対して不道徳だと憤るひともいるでしょうが、その場合、真に平等な社会を実現するための改革運動に身を投じるという別の選択肢もあります。どちらを選ぶかは個人の自由です。
なぜ税制の構造上の歪みは生まれてしまったのでしょうか?
国家は国民に公共サービスとして再分配をし、国民は税金というかたちで資金を拠出します。そして、公務員はただ、この再分配システムを維持・拡大させるのが仕事なので、彼ら自身はなんの価値も創造しません。
そればかりか、自分たちの目的は国民の「幸福」を増大させることで、その目的を達成するためならいくらお金を注ぎ込んでもいいと心の底から信じているのです。こうして、国家に寄生する公務員が増えると、その分だけ国民の富は減少していきます。
政治家は投票してくれる人を大切にし、ほとんどの人は自分の生活が大事なので、金(仕事)を持ってきてくれる政治家に投票します。こうして政治は、再分配の争奪戦となるのです。
再分配が肥大化していき、国家の税収が減れば、“幸福の増大システム”は維持不可能になるため、必然的にシステムは「改革」を迫られ、効率的に徴税できる方法を生み出そうとします。そんななか生まれたのが、世界にはほとんど見られない日本独自の仕組み「年末調整」です。
こうして、上手に立ち回るひとはほとんど税金を払わず、馬鹿正直な人は多額の税金を納めるという不公平が生まれているのです。
歪んだ税制のなかマイクロ法人ができること
自営業者が法人化することを「法人成り」と呼びます。資本の50%以上を本人または本人の関係者(法人を含む)が保有するものを「同族会社」といい、本書ではこれを「マイクロ法人」と呼びます。
マイクロ法人を設立するとどのようなことが可能になるのか。個人が法人を利用して合法的に税コストを下げるには4つの基本ルールがあります。
(1)所得税の発生しない範囲で給与を決定する
(2)所得税の発生しない範囲で家族を雇用する
(3)生活費を法人の経費に振替える
(4)個人資産を法人名義で運用する
個人と法人というふたつの人格を使い分けると、「税制度の歪み」により、自分(法人)で自分(個人)に給与を払うことで、個人と法人両方のメリットを最大限に活かせ、家計のファイナンスを最適化できるのです。
マイクロ法人ではサラリーマンが“ぼったくり”されていた社会保険料をかなり圧縮することができ、事業に関する融資においても低金利で調達することができるようになります。
他にも税制の構造上歪みを見ていれば、「黄金の羽根」が様々なところに落ちていることに気づくでしょう。
本書では「その気になれば誰でも利用できる歪み」としてマイクロ法人を利用したファイナンスについて多くのページを割き紹介しています。ここでは紹介しきれなかった“黄金の羽根の拾い方”は『新版 お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方 知的人生設計のすすめ』をご覧ください。
知識社会の働き方
私たちにとって最大の資産が“働く能力”、すなわち「人的資本」であることは間違いありません。私たちはグローバル化した「知識社会」で生きていて、そこでは「知」が権力として作用し、そこから富が創造されます。
知識社会で必要とされる知能は、言語的知能(文字や言語を操作する能力)と論理数学的知能(問題を論理的に分析したり、数学的に処理する能力)であり、高度なテクノロジーに支えられた知識社会では、私たちの仕事は「マックジョブ」、「クリエイター」、「スペシャリスト」の3つに大きく分けられます。
(1)マックジョブ
誰でも代替可能な仕事。マクドナルドの店員が象徴で、マニュアルどおりに作業すれば、新人でも初日からベテランと同じハンバーガーを作ることができます。
(2)スペシャリスト
医師や弁護士、公認会計士などの専門家。国家資格を持っていないケースでも、何らかのビジネスに精通し、その知識や経験にふさわしい報酬を得ています。
(3)クリエイター
クリエイティブ(創造的)なビジネスに携わっているひとたちで、作家や音楽家、俳優や歌手、スポーツ選手など。
日本のサラリーマンの問題点
グローバル企業は、国籍に関係なく世界じゅうの社員を同一の基準で評価するために、「スペシャリスト」を求めます。
しかし、日本では社員をできるだけ会社に依存させる慣習があったため、その会社でしか通用しない「企業特殊技能」を主に学んだ社員が多くなり、自分の専門がなく職業を訊かれたら会社名を答える「サラリーマン」が日本の会社で生まれました。
日本的な雇用慣行のなか、会社にいわれるままに漫然と働いていると、サラリーマンは40代を過ぎたあたりからとても苦しくなります。
会社から見捨てられ、マックジョブで一生を終えるのが嫌ならば、どの会社でも通用する技術を持ったキャリアを積む以外に道はありません。
経済合理的に働き方を設計
人的資本(働く能力)からの収益を増やすためには次の方法を考えます。
(1)人的資本への投資によって運用利回りを上げる
(2)人的資本の運用期間をできるだけ長くする
(1)は自己啓発本などに書かれている方法で、資格を取得したり、コミュニケーション(コミュ力)などのスキルを上げること。(2)は(1)よりも確実で、「長く働く」こと。長く働くほど、労働市場から得られる富は大きくなり、年金制度の破綻を気にすることもなくなるでしょう。
そう考えると、いちばん大切なことは、楽しく長く働ける仕事を見つけることになります。
定年退職をしたら“悠々自適”を満喫するという人生設計は実現困難ないまの時代で、人生の大半を占める仕事を苦しさに耐えながら暮らすことはできるはずもなく、「自分の好きな仕事」をするほか生き延びる術がないのです。
そんな「残酷な世界」に連れ去られた私たちにとって、もっとも貴重なのはお金ではなく時間であり、それを考えれば経済的独立によって得られる「自由」の価値はなにものにも代えられません。
その自由を得るため、いつかはリスクを取らなければならないときが来るでしょう。そんなときこそ、経済合理的に人生を設計して、キャッシュフローを最大化するさまざまな技術がきっと役に立つはずです。
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