〈黄金の羽(Golden Feather):制度の歪みから構造的に発生する“幸運”。手に入れた者に大きな利益をもたらす〉
「黄金の羽根」を直感的に理解するためには、2002年に開催されたサッカー日韓ワールドカップでのチケット争奪戦の例がわかりやすいでしょう。
日韓ワールドカップはとくに日本国内では人気が沸騰し、1枚7000円のチケットが、ネットオークションでは20万円以上で売られていました。必死に努力しても1枚のチケットすら手に入れられない大多数の日本人サッカーファンがいた一方で、何の努力もせずに好きなだけチケットを購入し優雅な観戦ツアーを楽しんだひとたちがいます。
彼らは、大量に売れ残っていた海外販売分のチケットを購入していました。海外販売分のチケットを購入する条件は「海外の居住者である」ということだけ。海外に住む知り合いに頼んだり、200ドル程度の報酬で本人名義の住所を提供してくれる業者に依頼することでチケットを手に入れていたのです。
こうした“制度の歪み”から「黄金の羽根」は落ちてくるのです。
チケットを手に入れるために必要な情報は皆に平等に公開されていました。しかし、「知識社会」あるいは「情報化社会」では、情報は瞬時に共有されていきますが、万人がそれを活用できるわけではありません。
「知識社会」では、必要な情報を的確に入手し、それを活用する知識を有しているひとは、いくらでも近道ができますが、そうでなければ、ひたすら回り道をするほかないのです。
オープンな社会では情報は万人に共有されるため、これは「公平な競争」の結果に過ぎません。それを手に入れられないのは自己責任となります。情報が公開されればされるほど、いたるところに近道ができますが、それをわざわざ教えてくれる親切なひとがいるわけでもありません。
これが私たちの生きている資本主義・市場経済のルールであり、いまの「知識社会」においては、知識を獲得して近道するのか、金を払うのか、それとも回り道をとぼとぼ歩くのか、誰もがその選択を迫られることになります。
人生はいちどしかないのだから、自分の思うがままに自由に生きたい――、誰もがそう願うでしょう。
なにものにも束縛されない自由を経済的な意味で定義するならば、国家や会社、家族にも依存せず生きるのに十分な資産を持つことになります。
こうした経済的独立は、長い年月をかけ徹底した勤勉と倹約で実現できるかもしれませんが、ほとんどの人は近道をして達成したいと考えるでしょう。
いまの社会で「経済的独立を近道して成し遂げる」ためには、私たちの人生を規定する経済的・政治的構造を知り、人生を合理的に設計しなくてはなりません。
本書ではそのために必要な基礎知識を以下の3つのパートに分け、紹介します。
(1)資産運用
(2)マイクロ法人の知識
(3)働き方
これらの構造や制度には「歪み」が必ず存在し、そこには「黄金の羽根」も落ちているでしょう。
人類の歴史に貨幣が登場して以来、お金持ちになる方法はたったの3つしかなく、その方法はわずか1行の数式で表すことができます。
資産形成=(収入-支出)+(資産×運用利回り)
この方程式からお金持ちになるためには、次の3つの方法しかないことがわかります。
(1)収入を増やす
(2)支出を減らす
(3)運用利回りを上げる
本書では資産形成の方程式を以下の10個のルールと共に解説しています。
(1)純利益の確保こそが重要
(2)複利の資産運用では、わずかな利回りの違いが大きな差を生む
(3)十分な元金がなければ運用しても意味がない
(4)収入を増やす確実な方法は働き手を増やすこと
(5)他人への投資と自分への投資を天秤にかけよう
(6)サラリーマンが金持ちになる方法は3つある
(7)確実に金持ちになる方法は支出を減らすこと
(8)家計のリストラは住宅コストと生命保険から
(9)投資のコストに気づかないひとは金持ちになれない
(10)最速の資産形成法は税金を払わないことである
さらに本書では資産運用に関する原理原則も10個の「非常識の常識」と共に解説しています。
(1)投資をしないのが最高の投資である
(2)バブル崩壊で日本人は豊かになった
(3)日本人は大きなリスクを取ってきた
(4)不動産を買ったら、資産運用はそこで終わり
(5)長期投資が成功するとはかぎらない
(6)資産運用の専門家は資産運用理論を無視している
(7)経済学者の予測は当たらない
(8)適正株価は誰にもわからない
(9)チャートで未来は予測できない
(10)短期投資は最高のギャンブルである
不動産は、人生設計にきわめて大きな影響を与えるものの、これまで経済合理的に語られることがありませんでした。損得以前に強い感情的バイアス(歪み)がかかっているのです。
マイホーム(持ち家)は、資産以前に「家族の夢」である。不動産が「夢」に変わるのは、家を買うと賃貸のときにはなかった満足感や安心感が得られるから。
経済合理的に考えれば、家主から家を借りても(賃貸)、銀行からお金を借りても(住宅ローン)大きな違いはなく、家の価値というのは、土地の値段と建物(上物)の値段の合計で決まり、それ以外に「精神的な価値」のようなものがあるわけでもありません。
もし不動産の購入を検討しているなら、利用するしないにかかわらず、いちど「裁判所の競売物件閲覧コーナー」を訪ねてみるといいでしょう。スーパーに並ぶキャベツや大根のように不動産が“裸の価格”で転がっています。
不動産を買うのは、そうした身も蓋もない現実を目にしてからでも遅くはないでしょう。そして本書では以下のように「不動産の呪縛を解き放つ法則」を紹介しています。
(1)家を買うのは、株式に投資するのと同じである
(2)家の値段は、家賃から合理的に決まる
(3)持ち家とは賃料の発生しない不動産投資である
(4)不動産はリスク商品である
(5)住宅ローンは株式の信用取引と同じである
(6)住宅ローンの返済は「貯金」ではない
(7)永住を前提に家を買っても、持ち家は有利にならない
(8)「家賃よりも安く家が買える」ことはない
(9)30年後に手に入った「我が家」に価値はない
(10)市場経済では賃貸と持ち家に優劣はない
生命保険も、強い感情的なバイアスがかかる金融商品です。
生命保険の本質は「不幸な出来事が起きたときに当せん金が支払われる宝くじ」と考えられますが、保険会社は“家族への愛情の証”として宣伝します。
保険は単なる金融商品であるにもかかわらず、巧みなマーケティングによって特別の地位を確保するのに成功しました。
一般の宝くじは誰が賞金をもらうかを抽せんで決めていますが、保険の場合、あらかじめ加入時に決めておいた偶然の出来事が発生したときに、保険金という名の賞金(=保険料-保険会社がもらう経費)が支払われます。
代表的な2つの保険について、どういう仕組みか宝くじを例に考えてみましょう。
(1)死亡保険
加入者が事故や病気で死亡すると、受取人(遺族)に保険金が支払われます。ひとは必ず死にますが、そうすると誰もが当せんする宝くじとなるので賭けが成立しません。そこで死亡保険は有効期限を決めた定期保険となるのです(終身保険は死亡時に積立部分が本人に支払われるだけ)。
くじが外れれば(不幸が起きなければ)、保険は損をする商品なのに、なぜ損を覚悟で保険に加入するのか?
それは自分が死亡したとき、宝くじの賞金以外では残された家族の生活を支えられない時期があると考えるからです。有り体にいってしまうならば、死亡保険とは、扶養家族の多い低所得者向けの金融商品と考えられるのです。
(2)医療保険
医療保険に対する考え方も、基本は死亡保険と同じ。自分も含め、家族の誰かが病気で入院したら経済的に苦しくなる場合のみ、加入メリットが生まれます。家計に余裕がある人は、高い保険に加入する意味はなく、病気になったときの経済的な損失よりも、保険で損するリスクの方が大きくなります。
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