富とは、この世での成功をはかる尺度となるものである。
富とは、この世で手にすることのできる最高の楽しみを可能にしてくれるものである。
富とは、手に入れるための単純な法則を理解し、それを守りさえすれば、いくらでも手にすることができるものである。
現代における「富の支配法則」とは、バビロンの市街に裕福な人々がひしめいていた数千年前の法則と、少しも変わるものではない。
かつてバビロンにアルカドという名の大富豪が住んでいた。 その莫大な富は、 広く遠くの国まで知れ渡っていた。
またアルカドは気前の良いことでも有名だった。 慈善事業に対しても惜しみなく援助していたし、家族に対しても自ら金を使うにあたっても、けちることはなかった。ところが、そうした散財にもかかわらず、 年を追うごとにその富は使う以上によりいっそう増えていった。
アルカドは、若い頃に富の真実を学ぶ。導き出された財産を築く不滅の原則は、『稼いだものはすべてその一部を自分のものとして取っておく』というものであった。そしてその割合は最低でも十分の一にしておくこと。
稼いだ金はまず、その十分の一だけ最初に確保する。必要ならばこの十分の一のためにほかの支出を切り詰めるのだ。自分だけのものと言えるこの宝を持つことで心が豊かに感じられるようになる。
その宝が増えるにつれて、刺激を受け、生活に新しい楽しみが加わりわくわくしてくる。もっと稼ごうとさらに大きく努力するようになる。しかも稼ぎが増えても、自分のものとして取っておかねばならない割合は同じでよいのだ。
その次に、その宝を自分のために働かせることを学ぶこと。宝を自分の奴隷にし、その宝の子供たちやそのまた子供たちにも自分のために働かせるのだ。そうして将来のための収入を確保すること。年を取った時の自分を想像して、その宝をなくさないように、よくよく慎重に投資するのだ。
そのためには賢明な人間たちに相談すること。金を扱うことを日々の仕事としている人々に相談することだ。そういう人たちに頼れば、大きな過ちはせずにすむだろう。小さくとも安全な収益は、危険な投資よりもずっと望ましいものである。
最後に、生きている間は生活を楽しむこと。張り切りすぎたり、貯める割合を増やしすぎたりしないように、全収入の十分の一を超えると生活を無理しなければならないようならば、十分の一で満足することだ。
収入に応じた生活をして、けちになったり、金を使うのを怖がったりしてはいけない。人生はすばらしいものだし、価値のあるもの、楽しいもので心豊かになるものなのだから。
後にアルカドはバビロンの人々に黄金の「七つの知恵」を授ける。
第一の知恵 財布を太らせることから始めよう
財布に十枚のコインを入れたなら、使うのは九枚まででやめておく。するとすぐに財布はふくらみ始めるでしょう。
第二の知恵 自分の欲求と必要経費とを混同するべからず
支払える範囲で叶えることができる欲求だけを選び、収入の九割の中で支出のための予算を組むこと。
第三の知恵 貯めた資金は寝かさずに増やすべし
貯めた金は最後の一銭にいたるまで働かせること。そうすれば、財布には途切れることなく富が流れ込んでくる。この金の流れこそが財産である。
第四の知恵 損失という災難から貴重な財産を死守すべし
危険性についてよく調べ、経験や知恵のある人に勧告や助言をしてもらいなさい。そうして危険な投資から自分の財産を守ること。
第五の知恵 自分の住まいを持つことは、有益な投資と心得よ
自分の住まいを持つことで、人は自信を持ち、何をするにしてもいっそう努力するようになる。
第六の知恵 将来の保証を確実にすべく、今から資金準備に取りかかるべし
年老いてから必要な金と、家族を守るために必要な蓄えとをあらかじめ用意しておくこと。
第七の知恵 明確な目的に向かって、自己の能力と技量を高め、よく学び、自尊心を持って行動すべし
能力を開発し、仕事の技量を高め、勉強して考えを深くする。そして自尊心を持って行動することで望みを叶えるための自信がついてくる。
「幸運を手に入れたい」という望みは、誰でも持つものである。現代人が抱くのと同様、数千年前の古代バビロンの人々も同じ望みを抱いていた。
我々は誰でも、気紛れな「幸運の女神」と出会えないかと期待している。「幸運の女神」と出会い、その注意をひいて彼女に好意を抱いてもらうだけでなく、際限なくひいきにしてもらう方法はないものだろうか。
チャンスを拒まない人間にはいつでもチャンスがくるものだ。そして幸運というものはチャンスのあとに来ることが多い。しかし、幸運の女神はのろまな人間を待ってはくれない。確固たる決意で迅速に行動することが求められているときに、不必要にぐずぐずするようであればチャンスは過ぎ去ってしまう。幸運を呼び込むためには、与えられたチャンスを活かすことが必要なのだ。
チャンスを掴みたいと思っている人間にだけ、幸運の女神は関心を寄せる。そして女神が最も喜ぶのは“行動する人間”である。行動こそが、目指す成功へと導いてくれる。
幸運の女神は行動する人間にしか微笑まない。
大富豪アルカドの息子は、相続する財産を扱う能力があることを証明すべく、金貨の入った袋と知恵の言葉が刻まれた粘土板を携え修行の旅へでる。
詐欺に遭い、事業に失敗し、やがて金貨が尽きたとき、粘土板に刻まれた知恵の言葉の本当の意味を理解する。
法則を一つ一つ頭に刻み、次に幸運の女神が微笑んでくれた時には経験を積んだ知恵の導くところに従おうと心に決めた彼は後に莫大な富を手にすることとなる。
第一の黄金法則
将来の資産と家族の財産を築くため、最低でも収入の十分の一を貯めるならば、黄金は自ら進んで、しかもだんだんとその量を増やしながらやってくるだろう。
金を貯めれば貯めるほど、ますます簡単に金が手に入るしその額も増えていった。稼いだ金がさらにまた別の金を稼ぐ。これが第一の黄金法則の作用である。
第二の黄金法則
貯まった黄金がさらなる利益を生むような働き口を見つけてやり、家畜の群れのごとく増やせる賢明な主人となるならば、黄金は勤勉に働いてくれるだろう。
金は自分から進んで働くもの。チャンスさえ与えれば、自分からどんどん増えようとする。自由になる金を持っている人間には、最も有利に運用できるチャンスも訪れるものである。
第三の黄金法則
黄金の扱いに長けた人々の忠告のもとに黄金を投資するような慎重な主人であれば、黄金はその保護のもとから逃げようとはしないだろう。
金は、慎重な持ち主にしがみつき、軽率な持ち主からは逃げだす。金を賢明に運用している人間に忠告を求める者は、自らの財産を危険にさらすのではなく、安全に保持しておいて、常に増えてゆくのを満足して楽しむ術を身につけるようになる。
第四の黄金法則
自分のよく知らない商売や目的、あるいは黄金を守ることに長けた人々が認めないような商売や目的に使われる黄金は、その人間から逃げてゆくことだろう。
運用に長けていない人間からすると、最高の利益を生む運用先がほかにたくさんあるように見える。しかし、こうしたものは損失の危険に満ちていることが一般的だ。
金は貯めたが、まだ経験未熟な者が、自分の判断だけを頼りによく知らない分野の事業や目的に投資すると、その判断の誤りに気付く。金を運用するのに長けた人々の忠告に従って投資する人間こそ、賢明である。
第五の黄金法則
あり得ないような莫大な利益を生ませようとしたり、詐欺師の魅惑的な誘いにしたがったり、あるいは自らの未熟で非現実的な欲望に頼ったりするような人間からは、黄金は逃げてゆくことだろう。
巨万の富をいきなり作れるというような計画には、どれも裏に危険性が潜んでいるということをよく自覚し、その分野の賢者のいう事によく耳を傾けること。手元に損害を出さないこと、投資した金を回収できないようなものには投資しないこと、元手が拘束されるような危険は決して冒さないこと、以上のことを忘れずに。
人間とは、賢明な行動を取れば一生楽しく暮らせるが、軽率な行動を取れば、苦しみがついて回ることになる。そして残念なことに、そうした過ちは一生忘れることができないものである。
私たちについて回る苦しみの中でも最たるものは、『ああしておけばよかった』という後悔と、せっかく手の内にありながら逃してしまったチャンスの記憶である。五つの黄金法則の知恵を理解することで、富を手にすることができるのだ。
バビロンが何世紀も持ちこたえたのは、 城壁が「完全に守られていた」 からである。 そうでなければ、 バビロンといえど何世紀もの間存続し続けられなかっただろう。
この国を囲んでいた巨大な城壁を古代人たちは、エジプトの大ピラミッドと並んで、「世界の七不思議」の一つに数えた。城壁の大きさは、当時の技術ではほとんど信じられないほどで、高さは約六十フィート(約五十メートル)あり、現代の十二階建てのオフィス・ビルに匹敵するものだったといわれている。
バビロンの城壁は、自らを守ろうとする人間の必要性と欲求の表われとして、 際立ったものである。 この欲求は人類が先天的に備えているもので、 今日においても優りこそすれ、 衰えてはいない。 しかも私たちは、「 自らを守るという目的」を達成するために、 生活のより広い部分をも守ってくれる優れた方法を知っている。 それは「保険」であり、「 貯蓄」であり、「信頼できる投資」などの〝 強固な城壁〟となるものである。 思いがけない悲劇が私たちの家に入り込み、 腰を据えてしまわないよう、自らを守り、安心を与えてくれるものである。
安心なくしては我々は生きられない
バビロンの栄光は消えてしまったが、その知恵は残された。当時まだ発明されていなかった紙の代わりに人々は、生乾きの粘土に文字を刻んだ。刻み終わると粘土の板は焼かれ、固いタイルになる。この板は「粘土板」と呼ばれ、そこには伝説や詩、歴史、勅令、法律、財産への権利、約束手形等が記された。
元奴隷であった男の借金返済の記録が刻まれた粘土板には男の願望であり期待でもあった「三つの目的」が記されている。
元奴隷が借金を返済したうえ、自分の財産も築くことができたのだから、どんな人間であってもこの知恵によって独立と自尊心を勝ち取ることができるはずだ。そしてその教えは今日においても十分通用しうるものである。
第一の目的
すべての収入の十分の一を、自分自身のものとして取っておくことにする。
この計画は将来の繁栄をもたらすものである。何事かをなそうと望む人間は、財布の中に多くの金を持っていなくてはならない。
第二の目的
収入の十分の七を使って住む家、着る服、食糧、それ以外のわずかの出費をまかなうことにする。
この計画は最愛の妻を支え、彼女に美しい服を着せられるようにするものである。家族の面倒をみることで自尊心を育て、その心の内に力を起こさせ、目的遂行の決意がより固まるからだ。そして、生活の楽しみと喜びに欠けるところがないようにすること。
第三の目的
収入の十分の二は、金を貸してくれたすべての人々の間に、公平に分割し支払うことにする。
この計画は収入から借金を返済してゆくための基本になるものである。
宝石を飾り、優越感に満ち、浪費癖のついた若者を助けるべく、バビロン一の大商人が説いたのは、労働の喜びを知るということ。
どん底にあるときでも、働くことが最高の親友となる。懸命に働くこととその姿勢が自らの窮地を救い、栄誉や成功をもたらすことへとつながっていく。
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